今年も本を50冊読みたい!
意欲はいっぱいでも時間はない!
今回はこちらの「すばらしい新世界」を読みました。
SF大好き!!!な私ですが、この本に今まで出会ってなかったなんて…!!
種類はディストピア小説ですが、とんでもなく面白い。
あらすじは、
すべてを破壊した“九年戦争”の終結後、暴力を排除し、共生・個性・安定をスローガンとする清潔で文明的な世界が形成された。人間は受精卵の段階から選別され、5つの階級に分けられて徹底的に管理・区別されていた。あらゆる問題は消え、幸福が実現されたこの美しい世界で、孤独をかこっていた青年バーナードは、休暇で出かけた保護区で野人ジョンに出会う。すべてのディストピア小説の源流にして不朽の名作、新訳版!
・人はみんな人工的につくられ瓶の中で胎児は成長し生まれる。
・退治を育ててる間様々な処置を施し、病気もしない老化もしない人になる。寿命は60歳までてころっと死ねる。
・人々は出生前からアルファー、ベーター、ガンマ、デルタ、イプシロンと階級別に分けられ、それぞれに仕事や役割を割り振り、安定した社会の基盤となっている。
・睡眠学習や条件付けで、それぞれ自分は自分の階級で良かったと思うようになっており、主観的にみんな幸せ。
少子高齢化問題、経済格差、虐待問題、家族間のトラブル…様々な問題が、ない世界なのである。
す、す、すごくない!?
めっちゃ良くない!?
と素直に感心してしまった私は病んでいるのか。
だって、今の私の問題、私の悩み、この世界だとゼロだよ!?
子どもを何人産むか?キャリアをどうするか?お金を貯めなければ。いつまで生きるか分からないから老後が不安。もう30歳だってのにニキビができる。この悩みがクリア。
虐待のニュース、家族間のトラブル、愛着障害、格差社会…などこのような問題に誰も犠牲にならない世界!!
ディストピア小説じゃない、これはユートピアなんじゃないか…!?
そして話の中盤辺りから、野人保護区にいるジョンという人物が登場します。
野人保護区は先住民たちが住んでいるんだけど、ジョンの母親は白人で新世界の人間。
姿形が違うことや母親の価値観と野人保護区での価値観が相容れないことから、様々なトラブルにあってきた彼は、シェイクスピアをこよなく愛する人物。
ジョンの登場に、「なるほど…!彼がすばらしい新世界をバッサリ弾糾していくんだな…!」と期待したわたし。
でもジョンの生い立ちを読んでいたら心苦しくて!( ´Д` )
いじめられ、仲間はずれにされ、差別され。母親のことでつらい思いをして。
え、これもうやっぱり新世界のほうが全然いいじゃん!!!!!!!おい!ジョン!!!わたしにディストピアを感じさせてくれ!!!
そんなこんなで最後、野人ジョンと世界統制管との応酬でもジョンがんばれ!!と内心応援していたんですが、世界統制管の世界を大きく捉えてる視点には感服。
しかしジョンの、
「老いて醜くなり、無力になる権利はもちろん、梅毒や癌にかかる権利、食料不足に陥る権利、虱にたかられる権利、あしたどうなるかわからないという不安をつねに抱えて生きる権利、腸チフスになる権利、あらゆる種類の言語に絶する苦痛に苛まれる権利も」長い沈黙が流れた。「そのすべてを要求します」と、ようやく野人が言った。
いやーー、これにはちょっと考えさせられた。
いや、嫌だけどね。世界統制管の言い方に変えると「不幸になる権利」なんて、いらないんだけど。
…いや、いる?病気で苦しまなくてもいいなら、そんなしあわせなことってないけどな…。
しかしこの小説が書かれたのが1932年だっていうからびっくり。
1932年って、昭和7年らしーよ。
最近書かれたかと思うほど、まったく色褪せないです。とにかく面白い。
しかし1932年当時より、私たちの感覚はすばらしい新世界の方に価値観が近づいているのではないか、と思うのです。
だってわたし、新世界のほうがいいんじゃね?ってやっぱり思うもん。
みんな出瓶しているすばらしい新世界では、母親や父親が卑猥な言葉となっているのですが、
これはねーーーこの感覚はさ、ほら昔の人は6人や7人出産した、と聞くと「えー!すごい!そんな産めない無理すごい…」って思うじゃん。それの延長な気がしない!?
そう思うとさ、やっぱり今は新世界よりなんじゃないかなって思うんですよね。
わざと一次産業を残し、科学の発展をあえて抑えるすばらしい新世界。
この世界はおそらくこのままずっと永遠に続くんだろうな…。変わらないまま。
ええどうしよう。
すばらしい新世界のほうがいいんじゃない、と思ってしまっているわたしはこのままで大丈夫だろうか。
自由とはなんだろう。
権利とはなんだろう。
平等とはなんだろう。
幸せとはなんだろう。
手元において、何回も何回も繰り返し読みたくなる本でした。